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子育て

ラギィってこんな子
ラギィがアスペルガー症候群と診断されるまで
診断を受けた頃(2才5カ月)
傘さして(3才頃)
運動会(3才半頃)
クリスマス会(4才になる頃)
入園式(4才)
がんばるラギィ(4才〜5才になる頃)
ラギィ5才
にんげん屋(5才)
近況報告(8才)

【資料】アスペルガー症候群ってなに?-ラギィ版-
ラギィがアスペルガーと診断された後、ラギィの通う保育園にお渡しした資料です (資料室にあるのと同じものです)。
【資料】療育関係のWEBリンク集、参考図書
資料室をご覧ください。

ラギィってこんな子(2才〜3才の頃)

「A-type一家のアルバム」をお読みになった方は、「ラギィくんって、まるっきり普通じゃない。お話しもよくするみたいだし。」って、思うかもしれません。
そこがラギィがラギィたる…アスペたるゆえんです。

家にいる限り、ラギィはほとんど問題ありません。
ええと、ここで「問題ない」というのは、本人が困ってないし、家族も困ってないってことです。

アスペの本領が発揮されるのは、集団に入ったときです。
だから、ラギィの「問題」は、家にいると見えて来ないのです(そんなには、ね)。

人ごみや騒音が苦手なラギィは、買い物に行くと、必ず売り場の床に寝転んでしまいます。ハイハイしてまわったりもします。手も服も真っ黒になります。
「ラギィ、立って」というと、「ハッ」としたように起き上がりますが、またすぐ寝転んでしまいます。

#私自身、買い物に行くと、BGMや人ごみやあふれる商品から来る聴覚や視覚への刺激が強すぎ、思考停止状態になることがあります。ラギィもそんな感じでパニック状態なのではと想像しています。

また、保育園に行くと、家にいるときとは別人のようなラギィの姿を見ることができます。

まず、ハイテンションです。わけわかんなくなってます。自分でもわけわかんないんじゃないでしょうか。

みんなが集まって踊る「おゆうぎ」や「体操」は、いくら誘っても絶対やりません。 「普通」の子が何の苦も無く先生のまねをして、みんなと同じことをするのを楽しめるのに対して、ラギィは「みんなに合わせて踊るのは楽しい」ということを学習しなければならないのです(ひょっとすると一生、それを楽しめないかもしれませんが、少なくとも「がまんして、周りのじゃまをしない」ことは、学ばなければなりません)。

#しかし、「おゆうぎ」って、何なんでしょうか。保育園や幼稚園でしか、しませんよねえ。ラギィがなぜイヤがるのか、まだわかりませんが(本人はまだ説明できないので)、私的には、「みんなで一斉に同じ動作をして、キモチ悪い」って感性もアリかと思ってます。「規律訓練」(整列、行進の訓練。中学でやる)にも通じるキモチ悪さです。

それから、「おあつまり」になると、先生に誘われていちおう教室に入りますが、クラスメイトがオルガンの前に一列に並んで「朝のうた」を歌いだすと、部屋から逃げ出します。
そのくせ、歌はちゃんと覚えていて、家に帰ってひとりで歌っていたりします。

#ラギィは、音にはうるさいからねぇ…。しばらく、苦労するだろうなあ。

それでも、お友達とかかわるのは大好き。横のつながりは苦手ですが、園で最年少だったので、お兄ちゃんやお姉ちゃんにかわいがってもらって、ニコニコしています。

アスペっ子らしく、ラギィは行事が苦手ですが、去年の運動会は、ラギィとしてはとてもがんばりました(はじめに全体でやる体操と、親子でやるおゆうぎは、当然しませんでしたが)。

最初のかけっこは気分が追いつかなくてできませんでしたが、障害物競争は、担当の先生につきっきりで誘導してもらって、最後まで完走。劇(?)も、担当の先生と組んで、立派に主役を張りました(セリフも一言、マイクに向かって言えました)。

しかし、前半で力を使い果たし、後半は、園庭の端にあるトンネル山のてっぺんに陣取って、誰がどんなにさそっても、頑として降りてきませんでした。

表彰式も、私とふたりでトンネル山の上から見てました。
自分のチームが表彰されると、「あ、トトロ(チーム名)、おわっちゃった」とつぶやきます。
やがて終わりの歌が始まると、伴奏に合わせてそっと歌をくちずさむのでした。

ラギィって、こんな子です。

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ラギィがアスペルガー症候群と診断されるまで

我が家は共働きのため、ラギィは1才4カ月から保育園に行っています。

で、ラギィが2才6カ月になるころ。私がたまたま仕事の関係で認知心理学に興味を持ち、「認知の障害」という切り口から「広汎性発達障害」について知り、「ラギィって、ここ(広汎性発達障害についての記事)に書いてあるのとよく似たこと(つま先歩きやくるくる回り、オウムがえし)をしてるな」と思っていた頃、保育園に呼ばれ、園長先生と保健婦さんからラギィが発達障害である可能性を指摘されました。

#園では、ラギィが自分のファンタジーに没入して(そのころは、トトロの世界に入り浸り)コミュニケーションがとれなかったり、集団行動にまったく付いていけないので、先生方が苦労していたようです。

その後、1カ月おきに保健所(兼児童相談所臨時分室)に通うこと3回。

#保健所では、ラギィの様子を観察しつつ、父母が家での様子を話し、担任の保育士さんと、保健婦さんと、児童相談所から派遣された小児科医さんが、今後の保育について作戦を練る、ということをやっていました。

3カ月後、「自閉症の疑いあり」というお墨付き(紹介状)を児相の小児科医からもらい、さっそく小児神経科に予約を入れました。
で、受診したのが翌月、2才10カ月のころ。その場で担当医に、「自閉症というより、アスペルガー症候群でしょう。」と、あっさり言われました。

#ラギィはその頃、つま先歩きなどの常同運動が激しく、何より言葉も少なく会話がなりたたなかったので、保健所預かりの3ヶ月の間に本やWebから仕入れた情報により、ラギィは「カナー型(狭義の自閉症)」なんだろうと私は思っていました。で、ちょっとびっくりして「アスペですか!」と言うと、「ま、似たようなもんだけどね(自閉症と)。」と先生はこれまた気軽におっしゃるのでした。

…早い。
アスペルガー症候群という診断まで、最短距離で到達したといっていいのではないでしょうか。
あちこちのWEBサイトを見て、なかなか診断が出ないとかいう話をいっぱい読んでいたので、あまりのとんとん拍子にちょっとびっくりです。

しかし、担当医によると、ラギィはこの地域の(診断された)アスペっ子の中で、おそらく最年少とのこと。小学生、しかも高学年になってから診断される場合が多いとか。

また、担当医はLDがご専門のようです。それでもLDやADHDではなくアスペルガーと診断されたので(ADHDについては、「併発してても、ちっともおかしくない」とは言われていますが)、これはもうアスペルガーに間違いないんでしょう。
それだけラギィは、アスペっぽさがくっきり出ている子なんでしょうか。ふふっ。

診断への道も早かったですが、加えて幸いにもこれまで、「育て方が悪い」とか、「お母さんの愛情が足りない」とか、「お母さんが仕事をしているから」とか、一度も言われずにすんでいます。

#私の耳に入っていないだけかもしれませんが。でも聞こえない悪口なら、私はOKです。ぜんぜん。

この地域(ハンパじゃない田舎なんですが)の保育士さんや保健婦さん、民生委員さんたちの、発達障害についての意識が、特に高いのでしょうか? ちょっと謎です。
いや、とてもありがたいことなのですが。

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診断を受けた頃(2才5カ月)

診断を受ける直前のラギィの様子をメモしたものを発見したので、ここに載せます。

ラギィを見ていると、自閉症の特徴によく当てはまる部分がたくさんあるけど、なんだか違うな…って感じもする。
コミュニケーションの困難をかかえていることは間違いなさそうなんですが。

ひらたくいうと、「超マイペース」または「言う事をきかない」子です。
自分の世界に夢中で、現実世界からの呼びかけに気づくひまがないって感じです。

でも…

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傘さして(3才頃)

あれはラギィが3才の頃。
ベッポくんが怪我をして、しばらく入院することになった。

ラギィはお父さんが大好きで、毎日顔を見なければいられない。仕事が終わってから保育園にお迎えに行って、ゴハン作ってたべさせた後、車に乗って山を越えて病院までお見舞いに行く、これが連日続き、私はかなりくたびれていた。

そんなある日、台風のような激しい嵐になり、とうとう私は、ラギィに泣きをいれてみた。

「雨がたくさんふっています(窓から外の様子を見せる)。今日は病院に、行かなくてもいいかなあ?」

泣きをいれるといっても、ほとんど愚痴のつもりで、言ったことがわかるとも思わなかったし、ましてや、ちゃんとした返答があるとは思わなかったのだ。

ところがラギィは、私の言葉を聞いたとたん、顔をこわばらせ、じっと考えこんだ。
20〜30秒たってから、真剣な顔で、ゆっくり、しかし、はっきりと、こう言った。

「かさ さして いくわ ど〜お?」(傘をさして行くのはどう?)

耳を疑った。
そのころのラギィは、口を開けばトトロのセリフばかりで、なかなかコミュニケーションがとれない子だったのに、いきなり複文、しかも提案の形でしっかり自己主張している。

そんなにまで父に会いたいか。
…完敗です。

このシチュエーションでは、「そだね、傘さして、行きますか」と答えるしかないでしょう。
それで、もちろん、傘さして、ラギィにはカッパも着せて、嵐の中、山道を歩き、車に乗り換え、山越えて行きましたよ、病院まで。

父への愛着の深さ(こだわりかもしれないが、こだわりと愛着のあいだに、どれほどの違いがあろうか)には恐れ入ったが、言葉の切り返しで自分の意思を貫いたことには、本当に驚かされた。
ベッポくんに会いたい一心で必死だったのだろうが、その思いが脳細胞を活性化する、なんてことは起こり得るのだろうか。

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運動会(3才半頃)

1才から保育園に行っているラギィは、保育園3年目にして年少さんとなり、はじめて同年の子供たちと同じクラスになった(その前の年は、2歳児ながら1つ上の子と一緒に年少クラスに入っていたので。つまり、ラギィは「年少さん」を2回やったことになる)。
同年配とのコミュニケーションという、自閉者にとって最も難しい場面に毎日さらされることになったラギィだが、両親の心配をよそに、また保育士の予想以上に、園生活に適応していった。
といっても、同級生は全部で8人、そこに、ラギィには加配の保育士が付き、しかも園のスタッフはもちろん、園児全員がラギィを赤ん坊の頃から知っている、という恵まれた環境下のことではあるが。(今年の年長さんが3年保育で入園した年に、ラギィも一緒に入園したのである。)

普段の生活にはなんとか付いて行けているように見えても、自閉っ子にとって難しいのが、運動会のような「行事」である。1才半の時はさすがに「みそっかす」だったし、2才半の時は半分だけ参加したラギィである。3才になり、初めて同年配の仲間と伍して競う(?)運動会、はたしてどんな様子になるのか?
2才のときは運動会の2〜3日前には運動会の練習がつらくて保育園に行くのをイヤがったラギィだが、今度はどうか?

両親の好奇心心配をよそに、運動会前になっても、保育園ボイコットは起こさなかった。
が、それも加配の先生の細やかな配慮のおかげなのだった。連絡帳から抜粋しよう。

今朝、「さあ、運動会の練習をするよー!」という時になったら、ラギィくん、急に、声も出さずに、ポロポロ涙を流して泣いて、「どうして泣いているの?」と抱っこして聞くと答えられず、「ボンボンもって運動会やるのやだの?」と聞くと、「ウンウン」と言ってました。

「先生と2人でお散歩行って来るか?」と聞くと、「ウンウン」と答え、ちょっとだけ散歩してくると、ケロッとして、みんなと、リズムの練習をしてました!

やはりがんばり過ぎちゃってる部分があるんでしょうね。昼寝の寝つきも悪かったです。

この日の夜、ラギィは寝床で、「ラギィくん、ほいくえんでがんばったんだよ…」としみじみ言ってたのであった。

さて、自閉っ子でなくても、運動会のような行事には、ノリのいい子と悪い子がいるのだった。そんなわけでか、この年の運動会は、練習も少なめ、出し物も少なめであったのが、ラギィ(およびノリの悪い系の子)にとって幸いだった。

で、運動会当日。運動会というと、なぜかポンポンを振りながらの入場行進と、みんなのお遊戯から始まるのだが、どちらもラギィの苦手分野なのだ。
おや、やっぱり先生に抱っこで入場か…と思ったら、抱っこされているのは別の子(ノリの悪い系ちゃん)で、ラギィはちゃんと行進に参加していたのだった。ほっほう、保育園3年目の貫祿ですな。ポンポンは振らずに持ってるだけで、やる気なさげな仏頂面での入場だったが、それがいかにも「らしく」て、かわいいのだ…これは親馬鹿だな。

あいかわらずお遊戯は苦手で、一番後ろでひとりだけ、みんなと反対のほう(つまり、ギャラリーのほう)を向いて突っ立っていた(加配の先生に付いて声かけしてもらったおかげで、しゃがみこむことはしなかったが)。
しかし、来賓の村長さんやら役場の偉い人やらに、ラギィの弱い所を見てもらって、来年も加配を付けてもらえるよう、もっと派手に何かやらかしてくれないか(←ヒドイ)と、こっそり願う両親であった。ラギィのような子の障害は、わかりにくいし説明しにくいので、加配の先生(つまり予算)を付けてもらうのが難しいのだ。

ところが、親の期待心配を裏切り、その後の運動会メニューは、なんとなく他の子にまぎれてやり通したラギィなのであった。
イナカ育ちの3才児といえば、ラギィに限らず「闘争心」というものが、わかってるのかわかってないのかイマイチわからない子もまだまだ多いんである。(おーい、キミたち、これは競争なんだよー。わかってるー?(笑))
そんなわけで、かけっこも、障害物競争も、ラギィはそこそこの成績(ビリではない)で最後までできてしまった。あらびっくり。

リレーや玉入れなどの集団競技でも、縦割り保育グループでラギィのお目付役お世話係を任じられた年長さんの子としっかり手をつなぎ(手をガシッとつながれ?)、特にリレーではちょっと引きつりぎみの顔をしつつも、競技に参加できていた。玉入れでも、玉を(あらぬ方向ではなく、一応カゴ方面へ向かって)投げていた。
後から聞いた話によると、ラギィ担当の先生も、本番で初めて、ラギィが玉入れで玉を投げるのを見たそうだ。先生談:「いや〜、私も、びっくりしちゃって〜。」ほっほう。

とはいえ、よーく見ているとわかるのだが、担任だけでなくすべての先生がたが、要所要所で声をかけたり誘導したり、細かくフォローしていたからできたことだった。
このフォローは、ラギィに対してだけでなく、フォローの必要な園児すべてに対して行われていた。先生がたの、ポイントを突いたフォローには、「お見事!」と言うしかない。本当に脱帽である。こんなきめ細かな指導ができるのも、全園児約30人に対して常任スタッフ5人という恵まれた環境ならではだろう。

去年は前半でリタイヤしたラギィも、今年は(去年よりプログラムが少なかったこともあり)最後まで参加し、表彰式でしっかりご褒美をもらい、ご機嫌で家族席に飛んできたのであった。
保育園の運動会といえば、このムラでは、村民運動会、小学校の運動会に次ぐ大イベントで、園児の家族は親類・縁者を含め総出でおべんと持ちで楽しむのだが、その喧騒の中でも臆せず、私の妹が作ってきてくれたお弁当をしっかり食べ、ご機嫌なラギィを見て、たくましくなったなあと感心する母ウーシャであった。

本当にびっくりしたのは、その夜のこと。
ラギィは、ポンポンを持って踊る(はずだった)お遊戯を、家に帰ってから2回も、フルコーラスで、歌って踊って見せたのである。
本番でできなかったことを、ずっと気にしていたらしい。

それから、「ラギィくんは、おうちにかえっておどりました。らっきー21、フォークダンス。らっきー21、2かいも、おどりました。」と、いきなり口述筆記。連絡帳に書いて、先生に報告しろというのだ。
おもしろい。こんなおもしろい子、ほかにいるかな。(と思ったら、自閉っ子にはけっこういるみたいだ。)

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クリスマス会(4才になる頃)

前回も書いたが、普段の生活はなんとかなっても、「行事」は自閉っ子にとって難しいものだ。「普通」の子が楽しみにするような「行事」でも、ラギィにとっては理解しがたいものであったりする。というわけで、今回は、ラギィがもうすぐ4才になる年のクリスマス会についてレポートしよう。

保育園のクリスマス会では、クラスごとに、園児がいろんな出し物を披露する。歌、合奏、それに劇だ。

前々回のクリスマス会では、まだ赤ちゃんぽさの残るラギィは、先生といっしょに怪獣の赤ちゃん役をやってウケていた。自分では何をやっているのかわかっていなかったと思う。

で、前回は、赤頭巾ちゃんの狼役。加配の先生と一緒にやった、というか、抱えられて無理やりやった感じだった。後からラギィが言ったことによると、狼よりも正義の味方をやりたかったようなのだ。

今回は、念願かなって正義の味方あんぱんまんの役だ。

#それで思い出したが、保育園から、あんぱんまんの衣装として「無地の赤いズボン」を用意するように言われ、母は探しまくったがイナカのこととてなかなか見つからず、クリスマス会の前日、ようやく見つけたのだった。

で、誰を助けたのかというと、かぶがぬけなくて困っているおじいさん。
……え?

実は「おおきなかぶ」の劇をやろうと企画した先生が、こどもたちに「おおきなかぶ」の絵本を読み聞かせ、何の役をやりたいか聞くと、こどもたちは口々に「セーラームーン!」「仮面ライダー!」「ドレミちゃん!」…
おいおい、キミたち、お話は「おおきなかぶ」だよ、と先生は思ったのだが、「正義の味方版」も面白いかも、と柔軟に方向性を変え、準備をはじめるとだんだんノッてきて、衣装も凝りに凝ってしまったそうだ(笑)。

そんなわけで、今年は「セーラームーン」と「セーラー(なんだっけ?)」の女の子があんぱんまんを迎えに行く、という演出で、巧みに両方から手を引かれ、ホールの定位置をマントを翻して一周し、かぶがぬけなくて困っているおじいさん(担任の先生(^^;))を助けに行ったのだった。

「あなたはだあれ?」の問いかけに、「ぼく、あんぱんまん」と、幼児らしくないクリアな発音と低音でクールに答えるラギィ。その後の「助けてくれる?」の問いかけには「いいよ」といえず「ンン…」となってしまったがそこは勢いでカバー、「♪よーいしょよいしょ、よーいしょ、おおきなかぶが、抜けました!」と、めでたしめでたしのエンディングになだれ込めたのだった。

劇はこんな感じだが、歌は…ステージに立つだけ立っても、相変わらず歌わないラギィ(口も開けない)。後で、「ステージに立って、みんながお歌うたってたとき、ラギィは何してたの?」と聞いてみると、「おとなしくしてた」
お見事。そうか、キミは、お行儀よくしていたのだね。逃げたり騒いだりしてはいけないと分かっているわけだ。その場に居られるだけの耐性も付いている。えらい、えらい。と、ベタ褒めしてしまった。

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入園式(4才)

今年(2002年)の入園式は特別だ。初めて、ラギィより年下の子が入ってくるのだ。

ムラの保育園の入園式では、新入園児だけでなく、在園児も全員の名前が呼ばれる。(ちなみに親も、全園児の親が参加する。)
呼ばれたら手を挙げて「はい!」と元気よくお返事する。
お母さんと離れたことのないような新入園児にとって、それからラギィにとって、これは難しい課題だ。これまでラギィは、この手の場面で、一度もお返事をしたことがない。ところが。

今年はラギィの名前が呼ばれた後、1秒、2秒たち…緊張感が漂う中、「はいっ」と返事をしてぱっと手を挙げたのだ。新入園児がお返事できた時と同じように、来賓をはじめギャラリーがどよめき、特に村長さんは大ウケして拍手していた。

思い起こせば3年前の入園式では、式の最中にピアノをガンガンたたき、ステージによじ登り、ついでに村長さんにもよじ登っていたラギィなのだ。成長したものだ…。

しかしこの、独特の間をとるものの、ぎりぎりのタイミングでなんとかつじつまをあわせるという技(なのか)、ラギィの今後を暗示しているようだ。展望は明るい(と思う)。

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がんばるラギィ(4才〜5才になる頃)

6月も半ば頃か。年中さんのラギィがいきなり、こんなことを言い出した。

「ぼく、ほいくえんで、みんながなにしてるか、わかるようになったよ」

てことはやっぱり、わかってなかったのね(^^;)

ところが、そう宣言しただけあって、その後の発達はめざましかった。

ラギィは5月の参観日まで、参観日のおやくそく「親子おゆうぎ」が、できなかった。
ところが、数カ月後の参観日には、ちゃんと先生や周りの子の動きを見て踊り、私が振りを間違えると「あ〜、まちがえた〜」と笑うようにまでなっていた。

余談だが、ラギィは2才頃は、テレビの幼児番組を見ても動きを真似るということはなかったが、3才になった頃からは、形態模写が、むしろ得意だ。
保育園では先生たちの物真似がうまくて(これがまた、そっくりなんだとか)、先生方に大受けだったらしいし、このあいだなど、お正月にテレビでちらっと見ただけの「能」の動きをよく覚えていて、数日後たまたま祖母の家で能面を見たとき、腰を落としたあの独特な歩き方を上手に再現してみせた。
それでも、去年の5月までは、おゆうぎができなかった。動きの模倣ができないわけでなく、何か別の問題があったのだろう。それが、6月ころにふっと解消したのにちがいない。

そして毎年恒例、ラギィにとっては試練の運動会。今年は運動会前に保育園に行き渋ることはなかった。
あいにく当日は雨で、急遽小学校の体育館を借りての運動会になったのだが、普段練習していた環境とは違ったにもかかわらず、パニックも起こさず、すべてのプログラムをやり通した。

この運動会で、ラギィは周りの動きを見て動くことを学んだ。たとえば障害物競争のとき、先生が吹く笛の音を聞くだけでなく、隣の子の動きをよく見て、タイミングを合わせてスタートを切った。これはすごいことだ。

#私ときたら、10才過ぎてもこれができなかったからな。小学校6年の運動会の練習時に、合図の笛だけを聞いて勢いよく逆立ちをしたら、受け止める役の相手の準備ができてなかったので、変なふうに倒れて足の指を折ったのは私だ。

「ほいくえん たのしいよ」と言っては通うラギィ。先生たちにも「今年のラギィくんはすごい。何でもやるし。」「去年よりずっとラクですよ。まあ時間はかかりますが、何でも自分でやりますから」と誉められている。

何でもやる? 家では「できない〜」「やって〜」の連発なのに(^^;)
保育園では、がんばって、すごく「よい子」をしているみたいだ。

この成長はとてもうれしいが、がんばりすぎがちょっと心配だ。
運動会の前後(終わってからも1〜2週間)、ラギィは何かしゃべるたびに、「ハッ」とか「ホッ」とか、喉の奥で音をたてていた。本人は気づいていないようだったので、特に気にしない/させないようにしていたら自然に直ってしまったけれど、ストレスによるチックのようなものだったのではないかと思う。

クリスマス発表会のときも、チックが出たらかわいそうだと思っていたら、今度は出なかった。その代わり、発表会のちょっと前に風邪で休んだら、風邪が治った後も、1日余分に休んでいた(^^;)
それでも、最後の練習の日には自分から「ほいくえんにいく」と言ってちゃんと出て行ったし、当日の発表では、劇のセリフも大きな声で言えたし、歌も(小さな声だったけど)ちゃんとステージでみんなといっしょに歌っていたし、とにかくすごかった!

クリスマス発表会の成功は、自分でもすごくうれしかったようで、発表会の様子を撮ったビデオを、おじいちゃんと叔母に見せ、遠くに住むおばあちゃんにも見せたい一心で会いに行き。発表会のビデオを何度も繰り返し見て(見せて)、いろんな人に誉められたり感心されたりして、大満足のラギィであった。

しかしその後、耳ふさぎが多くなり、ゆびしゃぶりが始まった。
気が散りやすくなり、少し前まで一人でできた着替えが、ついて声かけしたり手を貸したりしないとできなくなった。
多動が落ち着くといわれる年齢になって初めて多動らしい行動も始まった。
それもこれも、認知力がアップして、いきなり見えなかったものが見え、聞こえなかったことが聞こえるようになって混乱しているからではないか、と推測していたのだが、2カ月もすると落ち着いてきた。クリスマス会に向けてのがんばりの後遺症だったのかもしれない。

予想はしていたことだが、予想以上にがんばるラギィ。自分の意志で課題をひとつひとつ乗り越えて、たくましく成長していくラギィ。その成長をともに喜びながらも、そのためにラギィが受けるダメージも小さくないことを忘れてはいけないと思う。といっても、ただ気を揉みながら事態の推移を見守ったり、あまりダメージが大きくならないよう祈ったりすることくらいしか私にはできないのが情けないのだが。

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ラギィ5才

誕生日。夕食のあと、子供用の小さなギターをもらって、大はしゃぎだったラギィ。それなのに…

翌朝、目覚めたラギィの表情が暗い。
「どうしたの?」と聞くと、真剣な顔でこう言った。

「ぼく、ごさいのおおきさじゃない。きのうがたんじょうびって、まちがいじゃないの?」

…ごめん。悪いけど大笑いしてしまったよ。

そう。ラギィは、5才になったその日に、クラスメイトのリュウくん(4月生まれのノッポくん。クラスで最初に5才になった)の背丈くらいに、ぐぐん!と大きくなると思っていたのだ。

それにしても、「5才の大きさ」って…。ちょっと思いつかなかった。

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にんげん屋(5才)

鋭い5歳児に成長したラギィ。あいかわらずファンタジーの世界に遊んでいるが、いかにイナカの5歳児のファンタジーといえども、現実社会のあれやこれやの浸食を受けて、もはや純真無垢ではいられない。そんな彼のはなしを聞くのはおもしろいが、時々対応に困ることも…。

その日も、いつもの「ラギィの町」シリーズのはなしを聞いた。

−ばあちゃんラギィは、ばあちゃんラギィのおかあさんが、「にんげんやさん」から買ってきたんだ。

−へえぇ、そうなんだ。…ニンゲン屋さんって、何だっけ?

−あのね、にんげんを売ってるお店なの。いらないっていわれた人や、いえをおいだされたひとがいてー、ほしい人に買ってもらうの。

−ふーん…?(ひえぇ…!じんしんばいばい?!(@_@)

−こどもは、おやつのじかんもあるんだよ。みせのおとなが、こどもたちのせわをするの。あそぶじかんもあるし。ごはんをたべてー、おひるねもするの。

−わー、保育園みたいなところなんだ。

−うん!おとなはねー、おしごとにもいくんだよ。

−ふーん、人間屋さんから、お仕事に通うのね。

−うん!でも、はたらくのは、はたけのしごとだけ。それに、朝だけはたらくの。ひるまはおみせにいなきゃいけないから。

−あ、そうか。売り物だから、お店にいなきゃいけないもんね。

−うん!ほしいひとが買いにくるのを、まってるんだよ。

−そっかー…(「きみがほしい」っていう人が迎えにくるのを待ってる人々…しみじみ(;_;)…でも、買われるのか
はっ、ひょっとしてラギィ、寂しい思いをしているのか…あんまりかまってあげられないし…反省)

−あかちゃんはね、あかちゃんは…いないよねー?あかちゃんいらないってひと、いるわけないもんねー。

−そ、そうだよね。(ちょっと汗)

−あ、でも、リコンしたら、あかちゃん、にんげんやさんに行かなきゃいけないよねー?

−い、いやー、それはないでしょう!そんなこともないと思うよ…(大汗)

そういえば今年は、ラギィのクラスメイトたちに相次いで弟妹が生まれたり、保育園の先生が結婚してみんなでお祝いをしたり、別の先生が離婚したり(これは表立った話題にはならなかったハズなわけだけど、子供たちの耳はあなどれない)、いろいろあったのだった。
しかし、じんしんばいばいの事実は、もちろんない(とりあえず、身近なところでは)。いったいどこから思いついたのやら。

家を追い出されたり、「いらない」なんて言われて居場所のない人を保護し、求めてくれるひとが来るまで待たせてくれるシェルター的「にんげん屋」、どこかにあったらいいかも。…いや、どうだろう…。

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近況報告(8才)

Rさん、こんにちは。
メールに気づくのが遅れて、お返事遅くなりました。

お子さんがラギィによく似ていて、今3歳なんですね。
かわいいでしょうね。(*^_^*)
3歳のころのラギィを思い出すと、まだお互いコミュニケーションがうまくとれなくて(「こっち来て」とかが通じないので、抱えて移動しなければならなかったり、などなど)たいへんなこともありましたが、小さくて無邪気でかわいかったな〜、と思います。

「発達の遅れ」とか「障害」がある、なんていきなり言われると、将来どんなになってしまうのか、なんて、不安になってしまいますよね(たとえ今は、特に問題がなかったとしても)。
私もそうでした。何か、特別な「療育」というものや、訓練みたいなことを、しなくてはならないのかと。

うちは共働きで、とにかく生活に余裕がなく、結局「療育」と名のつくものは今に至るまでまったくしていないです。そのかわり、保育園や、学校にあがってからは放課後の「学童保育」に、ずっとお世話になっています。
保育士さんなど、専門家の目の届く範囲で、他のこどもさんとかかわることができるので、これがいわゆる「療育」の代わりになっているのかな、と思います。
(親が人づきあい苦手なので、こどもに教えてあげられないので、助かっています)

結局、こどもにとっては、「今」が楽しい、幸せ、と感じられることが大事で、そんな「今」の積み重ねが将来につながるのではないかと感じています。
小さな子ほど、経験が少なく不安なことが多いので、「療育」という名がついている、いないにかかわらず、いっぱい保護された安心できる環境で楽しく過ごし、その中で「大丈夫だよ」と励まされ、納得しながら、定型発達の子より、ちょっと丁寧に説明を受けながら、少しずつ経験をつんでいく、というのが理想なのかなあ、と感じています。
ラギィがお世話になった先生たちは、必ずしも発達障害に理解のあるかたばかりではありませんでしたが、どなたも観察力がすばらしく、ラギィの特徴に合わせた対応をしてくださったので、結果的にラギィは、理想的な環境で育つことができたのではないかと思います。

そのラギィの近況ですが、現在小学3年生、普通学級で、特にトラブルもなく、楽しく学校に通っています。親バカ全開ですが、かしこくてやさしい、よい子に育っていますよ。(^^)
というか、いたらぬことの多い親なので、ラギィにはずいぶん助けてもらっています。
先日は一家でカゼをひき、私も具合が悪くて、朝起きられずにいたら、ラギィが、
「みんなカゼをひいているけど、ボクがいちばん元気だ」と判断して(と、後で本人が語っていました)、すっくと立ち上がって台所に行き、全員のお茶碗を出してゴハンをよそってレンジでチンして、朝御飯の用意をしてくれましたよ。びっくりです。

1年生くらいまでは、インプット/アウトプットともにわからないことが多く、本人がつらくて、でも人の助けを受け入れる用意もできていなくて、どうしようもなくて泣くことも多かったですが、いろんな経験を積むことで、最近は泣くってこともほとんどなくなりました。
困ったときに助けを求めることも、だいぶできるようになってきました。
(今でも、本当にギリギリ困ったときには、援助を受け入れる余裕がなくなっちゃって、それで「がんこ」だって思われちゃうんですけどね。(^^;))
…そうですね、3才のころに比べたら、本人もまわりも、本当にラクになったと思います。

この調子で行けるとよいのですが、学校生活は、自分の経験からいっても、思春期をむかえる高学年〜中学くらいがいちばん難しいと思っています(いじめとか、でてきますし)。
どうにか無事にのりきってほしいと願っています。
親にできることはあまりないような気がしますが、ラギィが自分の人生の中で、学校を相対化してとらえることができるよう、「学校だけがすべてではないよ」ということを、おりにふれて伝えるようにはしています。

また、学校以外でラギィが活躍できる場を用意しています。
思うに、学校(特に、いじめが発生するような環境)での人間関係って、実社会ではあまりないと思うのですよ。なので、最初から、子供だけでない、いろんな年齢/立場の人がいる実社会でのあれこれを、保護された環境下で少しずつ体験していけるように、と思って、そういった機会があればできるだけ利用するようにしています。

さて、資料室の情報ですが、ずっとメンテしていないので、もう古くなっているかもしれません。
今は、拙サイト制作時に比べて(比べようもないほど)自閉症やアスペルガー関連のサイトがたくさんありますので、検索してみてくださいね。

ではでは、また気が向いたら、ご連絡ください。
ウーシャより

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作成:2001 最終更新:2006