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・石
・虫
・水
・江國 香織さん
・妖精現実フェアリアル-世界を見る透明なまなざし-
・ソキウス-社会学との幸福な出会い-
子供のころ、石を集めていた。
きれいな石…丸みがあってすべすべしたものや、美しい光沢のあるものなど…を見つけては拾って、底が丸っこい、赤茶色の円筒形のプラスチック容器(ふたは、上につまみがついていてカパッとはめる)にしまっておいた。
ときどき、集めた石を取り出しては、眺めたり、ひんやりすべすべした感触を楽しんだりしていた。お気に入りは、鋭いきっさきを持つ半透明の黒曜石と、白くてやわらかい「カケ石」。「カケ石」は、コンクリートの上で引っかくとチョークのように「書ける」ので「カケ石」。ケンケンや落書きするときに重宝するのだ。
石と同じように、タイル(昔…1970年代…は、よく落ちていた)も集めていたが、そのころ、きれいな石やタイルがたくさん落ちている場所を私は発見し、よく拾いに行った。今から考えるとそれは、改築したばかりの、よそのお宅の玉砂利であった。
もう少し大きくなったころ、家の物置で石の標本を発見した。厚手のボール紙でできた20cm四方くらいの薄い箱が、縦横6つくらいずつのマトリクスに仕切られ、マス目ごとにいろんな種類の石(岩石)が一つずつ収まっている。
たぶん先代の誰かの物だったのだろう。爪の先くらいの紙片に古めかしい活字で「砂岩」「泥岩」「玄武岩」などと印刷されたキャプションが貼ってあって、いい感じだった。しょっちゅう眺めていたが、残念ながら地学方面の興味には結びつかなかった。
石のコレクションも、石の標本もなくしてしまったが、一番お気に入りだった黒曜石は、いまも「宝箱」の中にしまってある。
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小さいころから虫が好きだった。
あんなに小さいのに器用に手足を動かしたり飛んだりするのが不思議だったし(今でも、どこにモーターがついてるんだろうと思ったりする)、ニンジン畑やキャベツ畑で一心に葉っぱを食べているアゲハやモンシロチョウの幼虫(ムシャムシャ、パリパリという音が聞こえるような気がした)は、きれいでかわいくて、じっと見ていて飽きなかった。
生き物が一心に食べているのを見るのが好きだ。彼らは幸せそうで、見ている自分も幸せな気分になる。それで子供のころ、チョウの卵や幼虫を飼って孵すということをよくやっていた。
飼育箱にキャベツの葉っぱなどを適当に入れておくと、幼虫は勝手に食べて大きくなり、いつの間にか飼育箱を抜け出して、座敷の梁などにサナギを作る。
たいてい知らない間に羽化して飛んでいってしまうのだが、私が12歳になる年の夏、座敷でアゲハが羽化した所に居合わせた。ちょうど羽が乾いたところで、アゲハは、羽を広げると暗い部屋の中を大きく一周してから、陽のさんさんと照る戸外へ飛び立って行った。大きくて、立派なアゲハだった。
私は座敷で、ただ圧倒されて見ていた。
アゲハが座敷を一周したのは、単に出口を探してのことだったろうが、なぜだか私に、出かける前の挨拶をしてくれたように思われてならなかった。
さて、山で暮らしていると、いろいろきれいなものが見られるが、そのひとつが、セミである。
ミンミンうるさくて無骨な成虫からは想像もつかないが、さなぎから出てきたばかりのセミは、ほんとうに美しい。
羽もからだも、透きとおったごく薄い緑のグラデーションで、触れると壊れてしまいそうに繊細だ。
夏の、朝出たばかりの太陽の光を反射したその姿は、エメラルドよりきれいだ。
羽化したセミは、羽もからだも固まるまで、小一時間ほども動かず、じっと待つ。待つしかない。
この間、鳥や猫やヒトや、その他の天敵におそわれたらひとたまりもない。
その、死と隣り合わせのあやういひととき、どうしてこのような美しい姿をしているのだろう。(または、なぜその姿を美しいと感じるのか。)
とにかく、生まれたてのセミを見られた人はラッキーだ。
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水のきらきら、ゆらゆらが、とても好き。
プールに潜り、音のない世界にゆったりたゆたいながら水の天井越しに青空を眺めるのは、至福のきわみ(そういえば、もう何年もやっていないな…)。
水の流れる音も好き。流れる水を眺めていると、ささくれだった気分も溶けていく。
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透明、きらきら、といえばこのかたの作品でしょう。
大人になってから見つけた「好きなもの」のひとつ。
タイトルからして「きらきらひかる」。
はじめはビデオ化されたものを、「豊川悦司と筒井道隆が〜」というミーハーな理由で見たのだが、そのあとで原作を読んで、驚いた。設定はかなりめちゃくちゃなのに、お話は端正な印象。まったく縁がなさそうな世界なのに、なつかしい。
「流しのしたの骨」を読んだときは、わ、仲間だ、これはA-typeファミリーの話だ、と思った(もちろん、人それぞれの読み方があると思うけどね)。
江國さんの作品はどれも、淡々とした透明な文章で、繊細な描写に心奪われていると、いつのまにかとんでもなく遠くの世界まで連れて行かれてしまう。それが心地よい。
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このサイトで扱うテーマについて、ご本人は「ぐしゃまら(なんでもありで無秩序)」とおっしゃってますが、実は一本筋がとおっている。それは、「世界を見る透明なまなざし」だ。
世の中に出回っている、または出回って「いない」情報を、透明なフィルタ(ってヘンだな。透明にするフィルタ?)を通して見せてくれる。
「どこにいても、世界とつながることはできる」ことを思い出させてくれ、またその手段(見事なリンク集!)を提供してくれる。
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妖精現実フェアリアル
http://www.faireal.net/
私は「非」社会的といわれる自閉者だが、社会に無関心なわけではない。
むしろ、「矛盾したことが苦手」という自閉者の特性から、普通は気にもされないらしいダブルスタンダードが良く見えてしまうほうだ。社会のバグ発見機といえるかもしれない(そりゃー、嫌われるわけだ)。
で、そんな社会を読み解く一つの方法が「社会学」。
社会人になってから、このサイトで、「社会学との幸福な出会い」を果たした。
私はここでCSSの手ほどきも受けました。(ありがとう、ほうとう先生!)
でも社会学講座はまだ全部読めていません。(ごめんなさい、ほうとう先生!)
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