A-typeで行こう!

独り言

「みなさ〜ん。夢をみましょう!夢には税金はかかりませんぞ〜。」(ドン・ガバチョ)

「独り言」のページは引っ越しました。あいかわらずたいしたことは書いてありませんが、よろしければ、こちらをご覧ください。ウーシャの独り言

※このページは、このまま消さずに残しておきます。

2001.06.08
2001.06.14 日本のセミ・オーストラリアのセミ
2001.08.24 理解できない人との共存
2001.09.10 虫の話
2001.09.22 「私は言葉を見つけた。私は怖い。」
2001.11.30 パートナー
2002.02.09 とんでも本?
2002.02.23 とんでも本?(その後)
2002.02.24 「手帳」と「欠格条項」
2002.12.31 遺言

2001.06.08

ここは、その日思ったことなどのメモ書き。

子どものころから毎日書くというのが苦手で、日記なんかも「溜記」とからかわれるほどだった(何日かぶん、まとめて書いたりしたから)。

大人になっても三日坊主は相変わらず。ここも毎日はおろか、毎週の更新も難しいだろう。まあ、ぼちぼちということで。

2001.06.14 日本のセミ・オーストラリアのセミ

リンコさん訳の新刊「私の障害、私の個性」を読んだ。

ぱらぱらとめくっていったら最後のほうに「蝉」の文字を発見。読んで見ると、セミに見とれる著者の姿が…。

私も羽化したてのセミに見入ってしまうタチなので、このシーンを見てびっくり、そして笑ってしまった(親近感だと思う)。

「この生き物は、私が見守る前で、茶色っぽくくすんだ緑の芋虫から、鮮やかな緑と金に染め分けられた、歌う虫へと姿を変えた。」

素晴らしい描写である。リンコさんの日本語力の冴えもあるだろう。オーストラリアの強い日差しの下で光り輝くセミ…見てみたい。

しかし、地球の北半球と南半球で、それぞれの季節にセミの脱皮に見入る女がふたり…
地球の外から見ると、ちょっと微笑を誘う光景かも。

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2001.08.24 理解できない人との共存

この辺境の島国でさえ、いやもおうもなく国際化・多様化が進む時代、今必要なことは、「理解できない」人と共存する技術を学ぶことだと思う。(付き合わない、とか、住み分ける、という選択肢を含め。)
この技術の教育は、もちろんすべての人を対象にすべきだが、特に非自閉者には特別な配慮が必要だろう。
というのも、自閉者にとっては、周りの大多数の人が理解しがたい人たちなので、必要に迫られて「理解できない」人と共存する方法を独自に習得していることが多いと思うので。

日本人の中には、一般的な教育のある・なしには関わりなく、異質な人への許容力が少ない人がわりと多くて、驚かされる(って、私も日本人なんだが)。
自閉者だけでなく、見てすぐそれとわかる障害者や外国人に対しても、驚くほど不寛容で、しかもそれをあからさまに態度で示す人が多くて、本当に驚かされる。
高名な大学を出ている聡明なお嬢さんが、電車で隣席に座ろうとしたブラジル人のおじさんに対して示した失礼な態度には、がっくりきましたよ、ほんとに。

とはいえ、これだけ外国人が増えると、以前より慣れてきていることもたしかだ。(電車の中で外国語が聞こえても、乗客が皆そちらを注目するようなことはなくなった。)
習うより慣れろ、は当たっているかもしれない。まあ、慣れも学習の一つだとは思うが。

学校によっては「ゆとりの時間」を使って、異文化理解の教育とか、開発教育、障害者理解のための教育などが行われることもあるようで、これはたいへん良いことだと思う。

しかし、異文化とじかに付き合った経験のある方(自閉者と非自閉者のはざまにいらっしゃる方をふくむ)にはおわかりだろう、「異文化を理解する」ことの難しさを。

世の中には「自分とは異質なもの」「自分には理解できないもの」があることを認め、それはそれとして、互いにうまく共存するためのスキルを教えるほうが、なんだか怪しげな「心の教育」とやらをするより、よっぽど現実的で効果的だと思うのだが、残念ながらそういうカリキュラムは聞いたことがない。

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2001.09.10 虫の話

某所で虫の話が盛り上がっていた。

ある女性は、幼少のみぎりは虫愛ずる姫君だったそうで、「かまきりの卵を10個位家に持ち帰って孵化させてしまったときは壮観でした。」と語る。
わはははは。そりゃすごいことに…。

カマキリもすごいが、クモの孵化もすごいぞ。
いや別に、クモ飼ってたわけじゃないんですが、たまたま孵化の現場に居合わせてしまって…俗に「クモの子を散らすように」って言いますが、まさにこのことかと納得。

うちのあたりは田舎なので、蝶もトンボもまだまだたくさんいる。
ただ、柑橘類が少ないせいか、キアゲハはあまり見かけない。
私の好きなカラスアゲハには良く出会うし、セミやら秋の虫やらは、佃煮にするほどいる(←地域によっては昆虫食の文化があるので、シャレにならないかも(^^;))

それより多いのが、蛾たち。名前もわからない、いろんな種類の蛾が、たくさんやってくる。中にはとてもきれいなのがいて、私はそれぞれ「女王様」「王女様」と名前を付けた。
「女王様」は真っ白で、白いふわふわの毛皮をえりに付けたマントをお召しになっている。
「王女様」は「女王様」より全体に華奢で、女王様のより清楚な感じのマントをお召しになり、ルビーの飾り(のような、赤い小さな模様)を付けていらっしゃる。
さて、彼女達の本名は何だろう?
どなたか、お勧めの「蛾の図鑑」などご存知でしたら、教えていただけますか? 蝶や甲虫の図鑑は探せたんですが、蛾の図鑑て、見かけないんです。

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2001.09.22 「私は言葉を見つけた。私は怖い。」

もう何年も前から、私はしばしば、飛行機に「落ちられる」夢を見る。自分が乗った飛行機が落ちるのではなく、自分は地上から飛行機を見ていて、その飛行機がぐらついたかと思うと、目と鼻の先に落ちてくるのだ。きっかけは、御巣鷹山の日航機墜落事件だ。
で、今回のマンハッタンツインタワーへのテロ事件の報道を見てしまった後はというと、ここ数日、眠っていなくても、目を閉じてさえいなくても、飛行機がビルに突っ込むあの映像が時折、目の前を横切るのだ…。

『私は言葉を見つけた。私は怖い。』
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/2000/010914im.htm
by 石埼学「恐怖が支配する世界にならないために」

テロの犠牲者のかたは本当に気の毒だと思う。犠牲者の身内のかたの悲しみは、想像しただけで気がおかしくなりそうだ。テロリスト、配慮なさすぎ。
しかし、テロが本当は誰がやったのかわからないのに、どこに「報復」するというのだろう。

たとえばアフガニスタンの人たちのほとんどは、テロ事件の犠牲者の多くがアメリカの政策に直接かかわっていないのと同じに、テロリストの活動とは無縁だ。
その前に、あの国の人たちは、ほっといても飢え死にしそうな状態に置かれている。テロの首謀者「と思われる」人物が場所を借りている「かもしれない」と「されている」が、数百万人のオーダーで餓死者が出るような国に、何ができるというのだろう。文字通り食うや食わずの無力な人たちの上に、さらに爆弾を落とすようなことは、ぜひやめてもらいたい。

それから、日本の「上のほう」にいる人たち。米国が「何をするのか」もわからないうちから「主体的支援」を表明し、どさくさまぎれにおかしな法律を作ろうという行動も、やめてほしい。

なんとか戦争を避けることはできないのだろうか。
こんなところで私ごときが気をもんでいてもしかたないのだが、祈るような気持ちで書いておく。

なくすべきものはテロ行為である。やみくもに軍事攻撃をかけるのは無意味だ。戦争をしても、無関係な人(米国側の兵士も含む)が大勢…今回のテロ事件の犠牲者数の、おそらく何倍、何十倍、何百倍の人が殺されるだけで、テロリストには何の打撃にもならない。

■こんな冷静な意見もあるようで、アメリカ人の理性に期待したい。

リンコさんの日記からもらってきた。上のサイト↑からもたどれるけど、直リンク。

■同じく上のサイトからもリンクしてますが、アフガニスタン、タリバン、ビンラディンについての超分かりやすい論説

2001.11.30 パートナー

アスペのパートナーとして好ましいのは…

いつもおだやかな人。静かな声で話し、
けっして大きな声で怒ったりしない人。

保護者的な人。
でもけっして愛情の押し付けはしない人。

常識にとらわれない人。
でも何が常識かは知っていて、アスペと世の中の橋渡しをしてくれる人。

2002.02.09 とんでも本?

■中経出版「食いしん坊な脳 うつになる脳」 について

今日久しぶりにWebを覗いたら、えらい騒ぎになっていた。

よこはま発達クリニックhttp://www.ypdc.net/の内山登紀夫先生が抗議文を書いてくれています。

私自身の感想はさておき、とり急ぎ関連情報にリンクしておきます。

日本自閉症協会東京支部の情報によると、以下の通り。

本書を監修した石浦章一さんは、東京大学の大学院総合文化研究科・教養学部・広域科学専攻・生命機能論の教授です。
たしかに神経がご専門の先生のようです。

2002年版『現代用語の基礎知識』に「たんぱく質から脳のなぞに迫る」という記事を書いているようです。→http://www.jiyu.co.jp/GN/Gn2002/mokuji.html
また、平成12年11月7日に開催された「UNIVERSITY SCIENCE 明日の文化と産業を支える独創的・先端的研究の成果 第15回「大学と科学」公開シンポジウム「タンパク質分解の不思議-こわれなくても こわれすぎてもいけない-」で、「タンパク質の反乱」という面白そうな講演をなさっています。→http://www.kuba.co.jp/science/1107/

研究テーマのキーワードは、以下の通りとのこと。

発達障害とはちょっとずれているようですが、まともな脳の研究者のようなんですが…。
なぜ、こんなでたらめな記述のある本の監修などしたのか。本をちゃんと読まずに、名前だけ貸したのか?

こうなると、同教授の「新生物学ライブラリ 2 よくわかる生命科学−人間を主人公とした生命の連鎖−」(http://www.saiensu.co.jp/books-htm/ISBN4-7819-0999-X.htm)という著書に自閉症に関する記事があるようなのですが(第5章「5.4 自閉症」)、内容が気になります。確信犯(?)だったらどうしよう…。

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2002.02.23 とんでも本?(その後)

例の本(中経出版「食いしん坊な脳 うつになる脳」)は、出版社が回収することになったとのこと。

中経出版さんのサイト http://www.chukei.co.jp/

証拠写真

証拠写真2(2002年3月、ちょっと変更されてたのを見つけた。その「ちょっと」の違いに注目。

とりあえず、ほっとしました。交渉に当たってくださった方々に感謝です。

ところで、ペンギンさんが、

石浦章一教授の「新生物学ライブラリ 2 よくわかる生命科学−人間を主人公とした生命の連鎖−」について調べてくれました。やはり確信犯(?)だったらしい…。(下記url参照)

http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/ishiura.htm

「自閉症関連については、なるべく新しい本を読みなさい」とよく言われますが、いくら新しく出された本でも、書いてある情報が古かったり間違っていたりしたら、元も子もない。

まして、この本は入門書だから、教科書や副教材として使われる可能性が高いことを考えると、困ったものだなあ…。

☆おまけ:石浦章一先生ってこんな人☆↓
http://www.npo-tsubasa.jp/tsubasa/21/Lec/ishiura.html

うーーーん、見たところ、杉山先生や辻井先生と同年輩に見えるんだけどなあ。(人を見る目には自信がないので、確信は持てない。)

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2002.02.24 「手帳」と「欠格条項」

「精神障害者手帳」を持っていると「欠格条項」にひっかかり、普通車免許がとれない…そんな情報が某掲示板に書き込まれていたのを読んで、「え、そんな…それは困った。でも、そんなことってあるのかな」と思い、調べてみました。

まず、「手帳」について。
私はずっと混乱していたのですが、「手帳」には、次のような種類があります。

名称 特徴・対象 窓口
■障害者手帳 各都道府県がそれぞれ定めた制度による。そのため、地域によって、内容が異なる。
●身体障害者手帳 対象 (神奈川県の場合):
 知事の指定した医師により、視覚、聴覚、平衡機能、音声言語機能、そしゃく機能、肢体、心臓機能、腎臓機能、呼吸器機能、膀胱または直腸機能、小腸機能、免疫機能に永続する障害があると診断された人
福祉事務所
→ 最寄の役場
 (2000年度から)
●療育手帳 対象 (神奈川県の場合):
 18才未満は児童相談所、18才以上は知的障害者更生相談所において知的に障害があると判定された人
※知能指数が境界線級のため従来手帳交付の対象とならなかった自閉症児者についても、2001年4月からは、精神科の医師の自閉症であるという診断書があり、県域の児童相談所または神奈川県総合療育相談センターの長が必要と認めた場合は「軽度区分(B2)」に判定(神奈川県の場合)
児童相談所
→ 最寄の役場
 (2000年度から)
■精神障害者福祉手帳 「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に基づく。(つまり、「国」の制度。)
対象:
 精神科領域の病気があり、日常生活や社会生活に制約がある人ならば、年齢、病名は問わない。また、入院、外来の区別も問わない。
 手帳の内部に、病名や病院名が記載されない。←知らなかった!
保健所
→最寄の役場
 (2000年度から)

※上記の表は、以下のサイトを参考にして作成しました。

・障害者手帳
http://www.02.246.ne.jp/~i-pocket/puti4-6-2.html
・精神障害者福祉手帳
http://www.horinouchi.or.jp/kintaro/techou.htm
http://www.med.net-kochi.gr.jp/seishin/horitsu3.html

で、アスペルガー症候群や高機能自閉症の人(やその親)がもらいたい「手帳」は、「療育手帳」なのですが、知能が高くてもらえないケースが多い、らしい(神奈川県は例外的)。

自治体によっては、知能が高いことを理由に「精神障害者福祉手帳」が支給されることもある、らしい。

次に、「欠格条項」について。

実は、道路交通法の改正(今年、2002年6月)に伴い、法律からは「欠格条項」はなくなります。
だったら、OK!かというと、そんな簡単なことではないらしい。

下記の新聞記事がわかりやすかったので、引用させていただきます。

★引用開始★

病者へきめ細かい配慮を 運転免許(社説)2002.01.13 朝日新聞東京朝刊

「警察庁は、6月に迫った改正道路交通法の施行を前に、道交法施行令と施行規則の改正試案を公表し、17日まで一般から意見を募集している。
 今回の道交法改正は、悪質な運転者への処分強化とともに、障害者の社会参加の観点から、特定の病気や障害を持つ人に免許を与えるかどうかの基準を変えるものだ。  現行の道交法は、「精神病者、知的障害者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者または口がきけない者、政令で定める身体の障害のある者」には免許を与えないとしていた。
 しかし、こうした人たちが、一律に安全な運転ができないというわけではない。改正道交法ではこの条項はなくなる。その代わり、免許を与えない場合の条件を政令で定めることにした。
 警察庁は昨年9月、政令の改正素案を公表して意見募集をした。学会や患者団体からも意見を聴いた。改正試案はそれらを踏まえたもので、全体にずさんだった素案に比べかなり改善された。」

★引用終了★

ということで、この件についてのいろんな意見・異議申し立てが、つい最近までホットに行われていたようなのですが、私は何にも知らなかった(新聞とってないし…)
私が知らなかっただけで、自閉症関係の方々も意見を出されたのでしょうか?

新聞記事をもう一つ。

★引用開始★

道交法改正で門戸開くはずが…*「運転免許失うかも」戸惑う精神障害者*症状によって更新拒否も 2002.02.08 北海道新聞朝刊全道

「 改正道路交通法が六月から施行され、これまで運転免許の取得を認められなかった精神障害者らにもようやく門戸が開かれる。しかし、既に免許を取得した精神障害者らの中には、逆に失う恐れも出てくるため、当事者には戸惑いや怒りも広がっている。
 現道交法は「目が見えないもの、耳が聞こえないもの、精神病者には免許を与えない」としている。改正法はこの条項を削除し、あらためて病気や障害によっては「免許を与えないか保留することがある」と定めた。
 これに関して、同法と六日に公布された同法施行令は、精神分裂病、てんかん、低血糖症などの人には、病気や障害の程度に応じて免許取得や更新を拒否できると定め、必要に応じて適性検査を義務付けた。また、症状の申告も求める方針だ。
 例えば、精神分裂病は、幻覚などで安全運転に支障をきたすと医師が判断した場合、糖尿病など低血糖症は、意識障害の前兆を自覚しないまま同障害に陥る場合は、それぞれ拒否や取消しの対象になる。
 これについて札幌市内に住む四十代の精神分裂病の男性は「自分たちを運転から排除するものだ」と反発する。この男性は免許を取得し、約二十年にわたって運転してきた。「症状は変動するので、不安なときは運転を控えている。発症しない保証を医師に求めるのは無理」と警察庁の姿勢に疑問を投げかける。
 十月に札幌で開かれる障害者インターナショナル(DPI)世界会議でも障害者に対する法律上の差別は大きなテーマだ。DPI日本会議とともに活動を展開する「障害者欠格条項をなくす会」の臼井久実子事務局長は「運転免許の制限は、通院や就職などにかかわり社会参加を促進するという政府の見直しの趣旨に逆行する」と批判する。
 一方、一般市民の間には精神障害者らがハンドルを握ることに抵抗感を抱く人も少なくない。札幌市内の主婦(44)は「車は人の命を奪う凶器にもなるのだから、運転免許は慎重に扱ってほしい。事故を起こした場合、きちんと責任を取れるのかも不安」と話している。」

★引用終了★

というわけで、「手帳」を持っている・いないには関係なく、政令の中身や運用のしかたによっては、今まで何事もなく運転できていた人も免許をとれなくなる恐れもあり、どんな結果になるか心配です(おっと、他人事じゃありません。精神科受診暦が1度でもある人なんて、たくさんいるはずです。ひょっとしてそんなことまでチェックされることにでもなったら…)。

交通手段がない田舎では、車の運転ができないと、冗談じゃなく死活問題となります。
というわけで、しばらくは警察庁のサイトから目が離せません。

■現時点での、ご意見集計結果(警察庁発表)↓
http://www.npa.go.jp/comment/result/koutsuukikaku/syukei.htm

なお、「欠格条項」については、以下のサイトが詳しいです。

それにしても、今の今までこんな問題があることを知らなかった自分が恥ずかしい…

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2002.12.31 遺言

京子さんが「島田川に流して。葬式不要」とおっしゃっていたので思い出した。

そういえば、幸いにも(?)私は入る墓がないのだった。

それに、私は死ぬ直前に牧師さんなり神父さんなりに来ていただいて、クリスチャンにしてもらうのだ。そうすれば、教会で葬式をあげられるだろう。そのためには告解の1つや2つや3つや4つ(?)喜んでしよう。
なんとなれば、私は実家にいるとき数回葬式を出しているのだが、そーしきぼーずのごーがんふそん、やらずぶったくりには、ほんっとーにうんざりなのだ。
世の中には当然、信仰が篤く世のため人のため尽くしてくださるお寺さんやお坊様も、きっといらっしゃるだろう、とは思う。しかし、この地域(菩提寺に葬式を頼むと、頼みもしないのに近在のすべての寺のぼーずがタッグを組んでやってくる)のそーしきぼーずたちへの不信感は消えない。

イナカの場合、葬儀はやらないと残された家族が苦労するので(弔問客がぽつりぽつりやって来る)、教会に一気に集めて、あまりしめっぽくなくやってくれい。線香の匂いより生花の匂いのほうが私は好きだし。(日本の教会のお葬式では、仏式の「お焼香」の代わりに、花を一本ずつ置いていく。あ、神道では榊だな。)

骨はよーく焼いて粉々にして、薪ストーブの灰とよく混ぜて、畑にまいてほしいな。特に、こんどほうれん草を植えるところがよい。アルカリ性だから、ちょっとは土壌改良になるだろう。
だから、墓は不要。無駄な出費はしないように。

人は誰でもいつか死ぬ身。思いついたときに書いておく。
というわけで、身内のみなさま、以上、よろしく。

2002年12月31日 ウーシャ

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作成:2001 最終更新:2002